読書感想「人間失格」太宰治

突然ですが、読んだ本の感想を書いていこうかと思います。今回は本を読まない人でもタイトルは聞いたことがあるであろう、太宰治の「人間失格」についての感想です。私自身も呼んだのは恥ずかしながらつい最近のことなのですが、この作品を読んで感じたことを文章にして吐き出したくなったのでここに書き連ねていきます。

 

 

人間失格」とはどんな話?

では、まず「人間失格」のあらすじを説明します。

 

主人公の大庭葉蔵は人の生活が理解できず、人を恐怖するあまり道化を演じ、学校ではひょうきん者としての評価を得るもその心は常に人への恐怖心で満たされていた。やがて、高等学校へ上がった葉蔵は親元を離れて下宿生活をするうちに高等学校で知り合った友人の影響で酒と女遊びを覚え自堕落な生活をしていくうちに実家からの仕送りの金も使い果たしてしまう。そしてついにはカフェの女給であるツネ子と心中未遂事件を起こし、そのことで逮捕され実家とも疎遠になってしまう。服役後も自堕落な生活は続き、娘と二人暮らしをするシヅ子という女性の家に転がり込むなどの紆余曲折を経てヨシ子という純真な娘と出会い結婚に至る。これを機に葉蔵も酒を止めて仕事に精を出すも、家に出入りしていて商人にヨシ子が暴行されるという事件が起こり、その事件に大変なショックを受けた葉蔵は酒に逃げ、仕舞には薬に手を出し最後にはモルヒネ中毒になってしまうという話です。

ストーリーの進行は葉蔵が残した手記を追う形で進み、あの「恥の多い生涯を送って来ました」というフレーズは葉蔵の第一の手記の冒頭に出てきます。

 

自分なりの考察

考察などと偉そうな見出しですが、自分なりにこの物語の主人公について考えたことを書き出しているだけなので、サラッと読み流してください。主人公の大庭葉蔵の人への恐怖は並大抵のものではないように感じられます。何せ、身内である家族にすら幼少期から道化を演じていたくらいですから、彼にとっては家族ですらも恐怖の対象でしかなかったのでしょう。しかし人に恐怖しながら道化を演じてまで他人との交流を図ったのは、作中に

それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした

 

とあるように、道化を演じることが葉蔵なりの人間関係の構築の仕方だったように思えます。あくまで表面だけの関係だと割り切ることができたのなら葉蔵はここまで苦しまなかったのかもしれません。

そして葉蔵はおそらく繊細な人間だ。そうでなければヨシ子が商人に暴行されたときにあそこまでのショックを受けたりはしないように思えました。ヨシ子が暴行されたこともそうなのですが、ヨシ子の最大の美点であった「無垢な信頼心」が踏みにじられたことにショックを受けたようにも感じられました。葉蔵は心の何処かでそんなヨシ子の「無垢な信頼心」を神聖視していたのかもしれません。妻が暴行されたことへのあの心の荒れようは神聖視していたものが汚されたことへの憤りも混じっているようにも感じられました。

 感想

読み終わってまず感じたことは、何とも言えない気持ちにさせられ、しばらく気分が沈みました。葉蔵の人生は一体何だったんだと非常に虚しい気持ちになりました。壮絶な人生というよりも影のようなものが付きまとう人生のように感じられました。幼少期に家の下男や女中から性的虐待を受けたというようなないようが手記の中に出てきますが、葉蔵はそれを両親に訴えるということはしていません。訴えても無意味なのではないか、世渡り上手な人に上手いこと言い包められてしまうのではないかと始めから訴えることを諦めていたり、この頃から人を恐怖していたとはいえ幼少の頃から満たされた人生とは言い難いように思え余計に虚しさを感じました。

ヨシ子と出会う前に同棲していたシヅ子との暮らしも、絵が得意なことからシヅ子の伝手で見つけた漫画の仕事が軌道に乗り、シヅ子の娘であるシゲ子から「お父ちゃん」と呼ばれるまでになりますが、シゲ子の「本当のお父ちゃんが欲しい」という言葉に強いショックを受け、再び酒浸りになり、「自分のような人間がこの親子の幸せを壊してはいけない」とシヅ子・シゲ子親子の元から去る場面も読んでいて虚しさや侘しさを感じました。

表面だけ見れば、実家は金持ちで更に女性からモテるという充分満たされているように見えますが、人を恐れる葉蔵にとっては人から好かれることも恐怖でしかないので女性からモテるということも人生を華やかにするには至らなかったように思えます。本当に大庭葉蔵という人物の人生は何だったのだろうと、読み返してみても暗い気持ちにさせられてしまいます。

 

そして今も読み継がれている理由が分かったような気がします。人間誰もが、葉蔵ほどではないにしろ本心を隠し自分を偽ることが少なからずあると思います。対人関係で相手を心の何処かで恐れ、嫌われた時の報復を恐れるあまりに、人から良く思われたい、嫌われたくないという人間が誰もが持つ弱い部分が描かれ、多くの人がそこに共感するからこそ、「人間失格」は読み継がれてきたように思えました。